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住職とお地蔵さん/住職日記

青岸寺の花見地蔵

緊急事態宣言期間中は子供がお寺にいる事が多くなります。家では暇ですが、時節人の出入りしている所は避けなければなりません。結局近所を散歩して過ごす事が多くなります。

歩いていると道の筋に必ず辻地蔵様が安置されております。米原区はお地蔵様が非常に多く安置されていて300世帯の区に20近くのお地蔵様がおられます。

横を通り過ぎる時に私が手を合わせると子供も見様見真似で手を合わせます。余りにも沢山あるので、途中で子供はしなくなりますが(笑)

ふっと考えてみれば私はいつからお地蔵様に手を合わしていただろうかと思い出してみます。記憶は小学生のころまで遡ります。

私の静岡県島田市にある実家の前に県道を挟んで細い道を行くと六地蔵様が祀られています。私の小学校への通学路は細い道をいかずに県道の道を進むコースになります。

細い道からでも登校はできるのですが、少し遠回りになる為、基本的には通らない道です。

しかし、私は何かあるときは必ず六地蔵様の前に行ってお願いごとをしていた事を思い出しました。

例えば好きな子ができた時(笑)テストの時、運動会の前の日、悪い事をしたときには必ずお願いをしておりました。

「好きな子と仲良くなりますように」とか「テストでいい点が取れますように」など他力本願にもほどがある願い事を主にしておりましたが、時には、

「友達に嘘をつきました。許してください。」「悪い事をしました。罰があたりませんように」などのお願いもしておりました。悪さをした時ほど10円を供えたり、お菓子をお供えしたりしておりました(笑)

そう考えると自然に信仰心があって純粋な「懴悔」をしていたのだと不思議な気持ちになります。

親にも友達にも言えない事をお地蔵様は聞いてくれて、ずっとそばにいてくれていたのだと今なら理解できます。

サンタさんでもお地蔵様でも神様でもなんでもよいのですが、信仰というのは確かにそっと寄り添っていて、私達の心を育んでくれていて、私にとっては近所の六地蔵様こそがそれだったのだと懐かしくも嬉しい気持ちになりました。

ずっと忘れていた記憶が今になり蘇りました。

また地元に帰るときは六地蔵様にご挨拶をしようと思います。

そして、全国の地域を護ってくださっているお地蔵様たちがいる近所の子供たちにとっても、親や先生、友達にも言えない事はお地蔵様に相談してくれたらよいと思います。お地蔵様は何も語らずに、しかし雄弁に様々な事を教えてくれます。そしてそっといろいろな事を気づかないうちに教えてくれます。

親でもない、先生でもない、第三者が護ってくれている事は子供にとって非常に心強いものです。

でもこの心の持ちようを教えてくれるのはやはり周りの大人の姿、言動である事は留意しておきましょうね。

 住職 永島 匡宏 合掌

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