釈尊涅槃図

釈尊涅槃図

2月15日はお釈迦様(釈尊)のお亡くなりになられた日だと言われています。この涅槃図には、その時代の流行りによって、図に違いがあったり、解釈の違いにより、様々な見方ができます。どこの寺院にも比較的涅槃図がありますが、それぞれ違いがあり、とても興味深い図になります。

青岸寺では2月15日から2月末日まで、涅槃図を青岸寺本堂方丈の間において、一般公開しております。興味ある方は是非お越しください。住職の都合がつきましたら、簡単な説明をさせていただきます。

ホームページでは時間がありましたら、青岸寺涅槃図の説明をしようと思います。

猫が描かれている

(例えば、猫が書かれている涅槃図とそうではない涅槃図の違いなど。)

住職 永島 匡宏 合掌

 

2月9日(土)坐禅会のお知らせ

2月9日(土) 坐禅会

明日は16時より、青岸寺にて坐禅会を開催いたします。青岸寺本堂にて静寂な空間で坐禅を実践いたします。

ストーブもありますが、少し冷えますので、坐禅しやすい暖かな恰好にて、ご参加下さい。

坐禅の内容は、その日の参加者のメンバーと人数によって、多少違います。未経験者や、坐るのが不得意な方も大歓迎です。

坐禅が終わったらお茶の準備をしております。

準備するもの・坐禅しやすい恰好、以上。気軽に参加下さいね。

腹籠り観音様

本尊 聖観世音菩薩坐像(県指定文化財) 

 


木造 ヒノキの寄木造り 像高79.7㎝ 南北朝時代の作

左手には未敷蓮華(みふれんげ)を握り、右手はこれを添えるようにかまえ、右足を外にして結跏趺坐の形をしている。このことから天台宗系の密教像として制作されていることがわかる。

南北朝時代(1331年~1392間)1367年8月18日に佐々木六角氏頼が、三条門弟讃岐法眼堯尊(円派仏師の系列に属し、同派の主流仏師、堯円の弟子筋にあたるとされる。)に聖観世音像を刻ませ、米泉寺本尊として安置した。また、氏頼は常に丈八寸程の聖観世音を念持し、戦に赴く際は、竿頭に納めて出陣した。そのご加護著しく、康暦2年(1380)絶海汝林禅師と思案し、その念持仏を本尊の胎中に安置する。ここに世に有名な「御腹籠りの観音」にして「旗竿の観音」とも称し、当寺の秘宝仏となる。

※米泉寺由来による


上記の説明のように青岸寺の本尊様は世にも珍しい「腹籠り観音様」です。聖観世音菩薩のもつ慈愛と救済の心、胎中にいる観音菩薩の縁起の良さ、そして密教像としての「観音力」のご加護により、「安産祈願」「子宝成就」「必勝祈願」などの祈願に非常にご利益のある観音様です。他にも佐々木京極の宿願の地であるこの土地の利もあります。

また、本尊聖観世音菩薩様のお顔は、その時の自身の心境を写す鏡のようになっており、見る人によってお顔の仏相がかわって見えます。微笑んで見えるかたもいれば、少し怒っているように見える方もいます。しっかりとした眼で相対した人の心を見つめていらっしゃるのです。

皆様にはどのように拝見できますか。是非直接ご覧になって下さいね。

指月会主催の句会を青岸寺にて

本日は指月会主催で句会を青岸寺本堂(客間)にて8名参加で開催されました。皆さんとても楽しんでいただいたようで、非常に有難い事です。国指定名勝庭園の文化財を保有しておりますので、文化的にも、非常に価値のある、催しだと思います。

さて、今日せっかく青岸寺にて俳句を詠んでいただきましたので、ご無理を言い、公開を了承して下さいましたので、ご紹介させていただきます。

雪女 消えて庭石 ごつごつと

もも子

観世音 このくれなゐの 猫柳

喜久子

はだれ雪 踏み踏み行けば 牛頭神社

和子

禅寺の 雪吊雪を 待つばかり

志津子

靴底で ぎんなんつぶす われは母

真子

白き息 もらし仏に ぬかづきぬ

顔(かんばせ)に 風の止まれ 冬桜

まさ野

夜は夜の 雪の近江の 紅梅 

多美子

皆さん素敵な俳句ですね。短い言葉で様々な情景を表す言葉の美。日本の素晴らしい文化ですし、日本語でしか表現できない世界に誇れる世界観だと思います。本日は指月会の皆様。有難うございました。

住職 永島 匡宏 合掌

中日文化センター庭園講座の外部研修

重森千青(ちさお)先生による解説

1月24日に中日文化センター庭園講座受講生の外部研修の一環で、青岸寺に重森千青先生と24名の生徒さんが来山いたしました。

拙僧が初めに簡単な青岸寺の歴史を説明させていただきました。その後、庭園縁側にて、重森千青先生の庭園解説を拝聴いたしました。私自身、青岸寺庭園の歴史や庭園の趣旨は概ね理解しているつもりではありますが、先生のお話は、毎回新しい事に気づかしていただくので、大変楽しみにしています。

他の庭園の特徴を引き合いに、わかりやすい説明で、作庭者の技法や意図など、とても参考になりました。受講生の方々も博識の方が多く、実のある一日となりました。重森先生、中日文化センター庭園講座受講生の皆様。有難うございました。

今日の青岸寺庭園

今日の米原は一日雪模様。庭園もどんどん積もっています。午前中は積雪もそこまで増えることもないので、良い状態で観賞できそうです。

午前10時現在の庭園の様子

リフレクション

青岸寺からご報告

青岸寺より工事のお知らせです。1月21日~3月吉日まで、青岸寺客殿一部改修工事を施工しております。昨年の9月より、寺カフェ「喫茶去 Kissa-ko]をオープンしました。より、皆様がご利用しやすいように素敵な空間を造ります。

工事はこの期間執り行われていますが、拝観や喫茶はご利用できますが、少し、ご迷惑をおかけするかもしれません。どうぞよろしくお願い申し上げます。

赤毛氈を撤去

畳を撤去

工事中はベニヤ板で衝立をしております

私自身も完成がとても楽しみです。皆様も楽しみにしていてくださいね。

 

 

神戸淡路大震災から24年

1月17日の24年前、阪神淡路大震災が発生いたしました。多くの方が犠牲になり、全国、特に兵庫県、関西地方では、慰霊追悼の式が執り行われました。

私は当時、小学三年生で、静岡県に住んでおりましたので、直接体感したわけではありませんが、テレビ越しの被害状況を見て、まるで映画の世界や、別の空間で起こった事のようで、唖然とテレビを見ていたのを鮮明に覚えております。

ありふれた日常がある日、突然失われてしまう。この悲しみは如何ほどか。天災はある日、突然身にふりかかります。数秒後には、自分の大切なものを全て失ってしまうかもしれません。これは誰にもわかりません。「諸行無常」「生老病死苦」等、誰しもがこの世に生をうけたら、年を重ね、病気になり、大切な人と別れ、そして最後には死にます。どのように最後を迎えるかは、選べません。

私も友を突然事故で亡くし、何人もの大切な人の死を見てきました。後に残るのは、いつも後悔の念です。もっと、感謝を伝えておけば良かった。取り消したい言葉だっていくつもあります。しかし、失ったものは帰ってきません。あるのは、思い出だけになります。

亡くなった大切な人達に、顔向けできる生き方を。自分の命をその方たちの分まで精一杯生きる事。今接する方を大切にする事。それが、私の懺悔であり、この気持ちで教を読み、供養する事で、亡くなった方が私の心の中では笑顔になってくれる気がいたします。人は、大切な人の死を乗り越える事なんて、できません。だからこそ、心の中では、笑顔でいてもらいたい、そう思うのです。

阪神淡路大震災から24年経ちました。この日は、多くの被災者やそのご家族の為に、想いを馳せる一日であり、今ある自分のご縁を大切にすると、心に刻む、そんな一日したいものです。

最後に、被災者のご家族が前を向いて、生きていらっしゃる事を心よりお祈りいたします。

願わくは、この功徳を以て普く一切におよぼし、我らと衆生と皆共に、仏道を成ぜんことを。

住職 永島 匡宏 合掌

青岸寺テラス席?

青岸寺庭園に面した縁側沿いに喫茶席を設けました。名勝庭園を眺めながら、ゆっくりくつろぎと、贅沢な時間を満喫できます。

庭園テラス

席には可愛いお地蔵様もいます。

のんびりしていただく為に、禅宗の本も置いてあります。生活のお役にたてれば幸いです。

住職 永島 匡宏 合掌

禅語紹介②

新年を迎え、10日が過ぎました。あっという間に時間が過ぎていきます。曹洞宗の「修証義」の一節に「光陰矢の如し」「悪戯に百歳生きる事なかれ」とあります。毎日の日課でこの教を読むわけですが、いつも「お前(自己)の事だぞ」と、反省しながら、読経しております。

しかし、この正月も、毎年の反省も活かされず、しっかりと正月太りをしてしまいました(笑)冬になると、外の作務や、面倒な作業は、後回しにしがちです。室内にこもって作業ばかりすると、どうしても身体がなまります。本来は、寒かろうが、正月だろうが、禅僧は日々同じように過ごす事が大切になります。

さて、今回紹介させていただく禅語は「時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)」です。


時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)

これは中国の禅僧「神秀(605~706)」の偈の一部になります。

身は是れ菩提樹    心は明鏡の如し

時々に勤めて払拭し  塵埃を惹かしむ莫れ

この偈の意味は、本来人間は誰しもが仏の心(仏性)が備わっているが、心(鏡)も毎日磨かなければ、やがて曇ってしまう。だから、日々の生活も、塵や埃が溜まらないように、心の掃除を常に意識して、過ごさなければいけないよ。という意味合いがあります。

しかし、実はこの偈。禅宗の中では、あまり評価されない言葉でした。この時、同じ禅僧の名僧「六祖慧能」が、この偈を聞き、これは喝破したのです。

本来無一物  何処にか塵埃を惹かん

そもそも、人間の心に鏡など、存在しない。自らが創り上げている幻想のようなもの。なのに、塵や埃など、どこに溜まるのか。こう返した訳です。

六祖慧能の言葉は真理をついております。真理ではありますが、私は神秀の言葉にも、非常に惹かれます。私も含めて、多くの方が「凡夫」であります。禅宗の僧侶が目指すところは、慧能のおっしゃる処ではありますが、云わば悟りの境地になります。我々凡夫はこの神秀の言葉が非常にしっくりくるのです。

神秀のこの偈は、現代に生きる私たちにも多くのヒントをくれます。現在もこの禅語が愛され、残っているのも、我々凡夫には一つの真理だからかもしれません。

人間関係も、仕事も、生活も、日々の自分ができる精一杯で生き、どんな時でも成すべき事は成す事が大切である事をこの禅語は教えてくれております。


住職 永島 匡宏 合掌