7月7日は七夕の日

青岸寺の笹飾り(玄関入り口横)

今日は七夕の日です。青岸寺でもつい先日、彦根市の清涼寺さんよりいただいた笹で七夕飾りをいたしました。

青岸寺のある米原市は実は七夕伝説のある七夕とはご縁のある地域です。青岸寺の近くに天の川が流れていますが、その川挟んで二つの神社で米原版、織姫と彦星の恋話が伝えられています。

米原市は非常に歴史が深い地域ですので数多くの逸話が沢山あります。

米原市を流れる「天野川」をはさみ「彦星塚」という石造の宝篋印塔と、「七夕石」と伝えられる自然石が、それぞれ両岸の神社に祀られています。彦星塚は、朝妻神社(米原市朝妻筑摩)にある石造宝篋印塔です。七夕石は、蛭子神社(米原市世継)にある自然石をそのまま置いてある石塚。両神社は川をはさんで500メートルの距離にあります。

この両神社には歴史上実在した人物が祀られてあり、七夕伝説でも実話がベースになっているのは全国的にも珍しく、面白いようです。

この両神社の位置は、面白い研究結果が残っており、天野川を空の天の川に見立て、星空のベガとアルタイル、地上の両神社の位置は、左右逆の「鏡像」の関係にあるそうです。意図的にこの場所に両神社を配置したとしたら、当時から非常に高い文化をもっていたことがうかがえます。

 

七夕伝記

蛭子神社に残る「世継縁起之叟」によると、蛭子神社がかつて「世継神社」と呼ばれた頃の話となります。

蛭子神社の祭神は雄略天皇の第四皇子・星川稚宮皇子(ほしかわのわかみやのみこ)と仁賢天皇の第2皇女・朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)。

5世紀後半の頃、星川稚宮皇子と朝嬬皇女は、米原を流れる「天の川」を境にそれぞれ仏道に励んでいました。

川を隔てていましたが、気持ちは通じ合い、二人は程なく恋に落ちてしまいます。

しかし、星川皇子の姉が朝嬬皇女の父である仁賢天皇の皇后であることから系譜の上では叔父と姪の関係のある二人、その上、二人は修行の身でした。このようなことから、二人はみだらに会うこともできず、その思いは叶わぬ恋となりました。なんとも切ないラブスト―リーですね。

その後、平安時代初期に奈良の興福寺の仁秀僧正がこの地に伽藍を建てる際に、この二人のことを知り、皇子を彦星に皇女を織姫に見立てて、合祀したと伝えられています。天野川という川の名前もあり、この地に七夕伝説が生まれました。

「世継縁起之叟」には「7月1日から7日間、男子は七夕塚に、女子は彦星塚に、いにしえの習いに従い祈念すべし~」そして「7日の夜半に男女二人の名前を記した短冊を結び、合わせて流すと、二人は結ばれる・・・」とも記されているそうです。素敵ですね。

今でも恋愛成就の隠れパワースポットとして地元では人気があるようです。

七夕は現在、子供たちに無くてはならない日本の行事になりました。青岸寺でも七夕飾りをして、参詣の方に短冊に祈念していただき、笹飾りをしていただいています。子供たちは、叶えたい夢を、大人は願いを。宗教観など関係なく、大切にしていきたい日本の行事です。

 

余談ですが、拙僧の誕生日は7月8日です。小さい頃から7月7日に生まれたら良かったのに、と考えていましたが、7歳ほどから彦星と織姫の落し子だと思って青春時代を過ごしました。(実の親に失礼ですよね(笑))現在は実の両親に感謝しつつ、七夕がくると、そんな昔の頃を思い出します。私にとっては七夕は、誕生日の前日ともあって、とても身近な、好きな行事でした。雨が降る日は、彦星と織姫が出会えないようですが、星に願いをこめ、皆様願いが届きますようにご祈念いたします。

※一部インターネットの情報を参照させていただいております。

住職 永島 匡宏 合掌

 

 

 

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