石徳五訓

「石徳五訓(せきとくごくん)」は、大本山永平寺七十三世熊沢泰禅禅師が昭和四十一年、九十四歳の時に、作成し揮毫されたものを、曹洞宗宗務庁が印刷発行したものです。石の徳について書かれています。面白いですよね。青岸寺にずっとこの扁額と一緒に置かれていました。気になっていたので、調べてみました。非常に禅宗の精神が訓示されていましたのでご紹介させて頂きます。

 

「石徳五訓 解説・見解」

  1. 奇形怪状、無言にして能く言うものは石なり。

[解説]

石には多種多様な形と様々な色がある。岩石のような大きい石もあれば砂利のような小石もある。その大小種々様々な石に共通の徳は「無言にして能く言う」ということである。ものを言わなければ何を言っているかわからないが、その無言を聞くことができれば、盤石なものを得ることができる。

[見解]

青岸寺庭園にも様々な石が配置されている。石は無言で何も語ることはないが、見る人の心次第では雄弁に真意を語り掛けている。何も語らない石組こそが禅の世界を物語っている。

 

  1. 沈着にして気精、長く土中に埋れて大地の骨となるは石なり。

[解説]

「枕石道人」古来、頭を休め、心を落ち着けるために、石を枕に暫くの眠を摂ってきた。また「懐石」という言葉もあるように、古来、石を温めて腹に当て。空腹を充たしてきた。「薬石」という言葉もある。これは石の沈着にしてずっしりしている徳と、気精、の徳が具わっているからである。そして、千万年大地に埋れていても不平一つ漏らさず、常に大地を支える骨の役目を果たしている。人間たるもの、またその徳を学ばなくてはならない。

[見解]

石はその存在だけで自然の礎となり、ただ石となり、石であるが故に徳がうまれている。はたして人間はどうだろうか。思考があり言葉や行動ができる人間になぜ徳が具わっていないのだろうか。一度自身に問うてみるのもよいのかもしれない。

  1. 雨に打たれ風にさらされ、寒熱にたえて悠然、動かざるは石なり。

[解説]

雨風にさらされ、暑さ寒さにも耐え、悠然たる態度で不動の姿をしている。古来、「無根の樹」や「不動の雲」などいわれるように、根の有る樹は枯れることもあるが、根のない樹、即ち石は枯れることがない。雲は飛散するが、動かない雲、即ち石は飛散することがない。それでいて、樹の如く、雲の如く生きているのである。

「八風吹けども動ぜず天辺の月」、「心頭滅却すれば火も又涼し」と言う。人も石徳現成の時節に発せられた語にほかならない。

[見解]

宮沢賢治の大変有名な詩、「雨ニモマケズ」を連想させる。仏教用語に「四苦八苦」という言葉があるように人は大なり小なり苦しみを抱え生きている。石のように何事にも不動の心を会得できたら心根が定まり、人生をより過ごしやすくなるのではないだろうか。

 

  1. 堅質にして、大廈高楼の基礎となり、よくその任務を果すものは石なり。

[解説]

材としては堅質、これがまた石に共通の徳である。この徳の故に石はよく大きな建物の土台として使用され、よくその期待に応えて、その任務を全うすることができているのである。

人間もこの石徳を生活の土台として、その尊い人生を、空しい砂上の楼閣にしないようにしなければならない。まさに堅固なる石を土台に建てられた建物と同じといえる。

[見解]

何かを成す人間は必ずその土台がある。人間にとっての土台は心(思考、信念など)である。その人間としての土台が軟弱では、仕事、日々の生活も安定しないものである。建物と一緒で、少しの地震や災害で根本が揺らぐようでは、安心して住む事ができない。人間もまずは石のようにしっかりとした土台(心)を作る事が肝心である。

  1. 黙々として、山岳庭園に趣きを添え人心を和らぐるは石なし。

[解説]

先に説明してきた石だが、堅いばかりではない。そこに面白味がなくてはならない。石にはそれがある。それがまた石の徳であるといってよい。欝々たる森林の一角に大羅漢のように立っている断崖、静かなる庭園の隅に虎が踞っているように潜んでいる石、潮騒の石庭の中に点々と島のように浮かんでいる石、大山を圧縮したような石、昨日まで生きていた誰かを化石にしたような石、声こそ聞こえないが、相い語り、相い笑っているような石ども、どれもこれも黙々として光が堪えられている。

そのような石どもを前にして、誰も怒る者はないであろう。人間も、そのような石徳を具えるに至れば、もう仏様であるといってよい。

[見解]

いつも苦虫を潰したような顔をして、周りに妙な緊張感を持たせる人がいる。逆にその場に居るだけで、心が和やかになる人もいる。後者こそが石の徳を兼ね備えた仏のような人であろう。石徳を積むというは、正に仏の心を積むということに他ならない。石の徳を見習いたいものである。

※解説は大本山永平寺七十三世熊沢泰禅禅師の語録「雪菴廣録」に詳しく解説されているのを引用している。

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