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その回し車から降りてみませんか?/坐禅のすすめ

坐禅中の住職

先日、息子がワールドベースボールクラシック(WBC)の影響で野球をはじめました。私も野球を小中高とやっていましたから、嬉しい気持ちもあります。

子どもは野球が上手になるために頑張っています。私もついつい、少し野球を知っている気持になり口を出してしまいますが、その都度、反省しています。結局、スポーツは楽しむものですからね。子どもには野球の楽しさを沢山経験してもらいたいと思っています。

さて、今回の題名にもなっている「回し車から降りてみませんか?」とはなにか?

ハムスターを飼った事がある方はご存じかと思いますが、ハムスターのストレスと運動不足解消の為に籠の中に回し車が設置されています。ハムスターは生存本能でもあるのでしょう、一生懸命に回し車に乗って、走っています。

今回の題名は決してハムスターに語っているわけでもなく皆様に問いかけています。

人間も生まれて死ぬまで、現在の環境下に存在している条件で生きています。それはまるで籠の中にある回し車で走り続けているハムスターのように感じます。

この場合、回し車に乗って走り続ける事は肯定も否定もまったくしていません。何故なら、人は生きる為に常に必死だからです。生まれて一生懸命言語を覚え、自分の足で歩き、学校で勉強やコミニティーの重要性を学び、息子のように野球や習い事を初めたり、会社では必要なスキルを活かし、お金や家族為に働き、やっと老後になったら今度は健康や死後の事を考えたりと、回し車から降りれる事はなく、ペースは変われど降りる事ができません。むしろ、人は目的や意味がないと生きていけない動物なのかもしれません。とにかく、ずっとゴールのない回し車をクルクル回っています。

やっと降りる事ができるのはこの世から去るときかもしれません。

ここで私から提案があります。その回し車から降りる為に坐禅をしてみませんか?

坐禅はこの回し車から降りる事を(降りたと感じた事)を大切にしています。

坐禅は足を組み、姿勢を調え、呼吸を調えただ座ります。

それ以上でもそれ以下でもありません。なんにもしないのが坐禅です。身も心も回し車から降りる行いが坐禅になります。

なにもしない事はとても恐い事です。ずっと自分の身体で生きてきて「なにもするな」なんて親にも学校の先生にも教えられた事ありませんからね。

でも坐禅は何もしなくていいです。頭で考える事をやめて、五感で感じるまま座ります。

頭の中を空っぽにして、呼吸だけしながら大地自然と一体に混ざりあい溶け込んでいきます。

この時に初めて、回し車から降り、更に籠から出て、俯瞰的に自己を観察できるようになります。

是非ではなく、俯瞰的に今の私を知る事はとても大切です。

回し車に乗る事は生きる為にとても大切です。これは生存本能ですし、人間が原始人の頃から変わらない習わしですから否定すべき事ではないでしょう。

しかし、時には回し車から降り(条件付きの世界)、籠(社会のしくみ)の外から観察する事も大切なのではないでしょうか。

本当に自分にとって幸せの生き方とはなにか?必要な事はなにか?不必要な事はなにか?

是非、坐禅を実践してみてください。一人で座るよりも、僧侶に指導してもらいながらの方がより坐禅への理解が深まるかもしれませんから、お近くの坐禅会に参禅してみて下さいませ。

住職 慧嶽 匡宏 合掌

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