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住職の独り言/住職日記

皆さんごきげんよう。

皆さんは現在なにか悩みはありますか?多くの場合は環境か個人の資質に悩みは起因している場合が多いと思います。

私は年々、年を重ねるごとに悩みの種が増えてきております。お坊さんとしての在り方、お寺の運営、お寺離れ、子育て、地域の役員、観光について、人権問題、介護、過去、現在、未来、悩みはつきません。

物事をシンプルに考える癖があった私はもともと悩みは少ない性質でした。嫌な事が生じても、次の日にはすっかり忘れていたものです。しかし、他者との関わりが多様化していくなかで、個人がシンプルに考えて済む問題が減ってきているのが悩みの要因に思えます。

思えば修行時代は厳しくはあったものの、悩みはほとんどなく、今思えば、なんて良い環境だったのだろうと感じます。それだけ、人の性質とは人間関係からなる悩みを持つ事に弱いのでしょう。そもそも悩みは、自身で解決できない事柄に対して起こる感情ですから、他者や環境に要因される問題が多い場合は自然と悩みが増えるばかりです。

修行時代は全て自身の行動において結果が伴っていた為、悩みが生まれなかったのでしょう。

一国の王子で妻子持ちであったお釈迦様が全てを捨てて出家された気持ちが今は良く理解できます(笑)

同じとはいえませんが、寺院の住職であり、妻子持ちの私がすべてを捨てて修行に人生を費やす事は、現段階では考えておりませんが、少なくても晩年は仏道の事だけ考えて暮らしたいと思っている最中であります。

様々な葛藤を経て、現在は今ある環境に依存して生きる道を選んでいるのですが、その中においても(世俗に生きる僧侶を選んだ立場)社会的に見た僧侶としての言動や行動規範は非常に大切にしたいし、仏教的な所謂「衆生救済」ではなく、社会的な意味での救済活動は大切にしたい、現在の私の戒律であります。

伝統仏教の僧侶から見たら日本の僧侶というのは不可思議な俗物でありましょうが、俗物であるからこそ守るべき自戒が必要でしょうし、衆生にまみれてこそ、救い(この場合は社会的な意味での)の担い手にもなりえるでしょう。

葛藤は続きます。日本仏教の僧侶としてどのような手段で幾多ある矛盾を解決していくか。

これは曹洞宗の一つの答えが坐禅であり、戒律でありましょう。所謂、「禅戒一如」であります。

坐禅で自己の仏性を現じ、戒律にて仏道を行じ、即身成仏なる。即身成仏とは釈迦牟尼仏そのものであるならば(修証義)、釈迦牟尼仏と自己とは同一のものであります。

仏になって悩む事などありましょうか?悩みなどもともとない事に気づくことが仏教の入口であります。

現在おかれている環境にて禅戒一如を主として生きる事こそ曹洞宗の宗旨であります。

仏仏と独りしゃべりて悩める生臭坊主。禅禅と苦しみ生きる仏の道。戒のお守り抱きただ発心。有難くも有難くなしと唱える南無釈迦牟尼仏

 住職 慧嶽 匡宏 合掌

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