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住職とたぬ吉の仏教小話(四苦八苦とは)

托鉢僧侶「たぬ吉和尚」

たぬ吉「匡宏方丈さん。ぼくが青岸寺で托鉢させていただいて一年が過ぎようとしていますが、ちょっと悩みがあるんですよ」

住職「どうしたんだい?いつも悩みなんてなさそうじゃない。昨日も拝観者の人と沢山写真とって喜んでいたし、托鉢の布施で油揚げ食べて幸せそうだったじゃない。」

たぬ吉「へへ。それは内緒です(*^^*)そうなんですよ。僕は理由あって新米お坊さんで托鉢修行していますけど、青岸寺の皆さんは少し貧乏性でケチだけどいいひとたちだし、参拝者の方も優しい人が多いから、毎日楽しいんですよ。」

住職「ケチって・・・(確かに貧乏だけど)。楽しいならいいじゃない。何が悩みなの?」

たぬ吉「いや、おかしいなって思いまして。お釈迦様は「人生一切苦」といって「四苦八苦」を唱えてますよね。なんでだろう?と思いまして。僕は今毎日楽しいのにって。」

住職「なるほどね。確かに「四苦八苦」というのは、仏教実践において、仏教の根幹的な土台となる思想だよね。でもたぬ吉君はそれに違和感を感じているんだね。では、たぬ吉君は今まで人生は順風満帆だったのかな?」

たぬ吉「う$301Cん。確かにお坊さんになったのは人生においてある疑問があって出家してますし、ついてない一日もあれば楽しい日もあるし、ずっと楽しいわけではないですけど。でも一切苦しいっていうのはいささか大袈裟ではないかなって。お釈迦様って超絶ネガティブ思考で鬱傾向だったのかなって思いまして。」

住職「(お釈迦様に対して失礼な・・・)そうだね。たぬ吉君的にいう苦しみという見方をすれば、現代に生きる私たちは物質的(食事や生活必需品等)に満たされているし、社会的成熟でモラルハラスメントなどの問題にも対処しようとしているし、環境問題や様々な人権侵害、差別に対しても学ぶ機会が増えていいるから、以前に比べれば非常に住みやすくなっているよね。まして、日本では戦争が70年以上ないという非常に平和な国だから環境的要因では苦しみが少ないかもしれないね。」

たぬ吉「そうなんですよ。まして、世間では自己肯定的な本や学校教育でも「夢」「希望」「目標」が当たり前で、苦しいのがベースの人生観なんてネガティブキーワードなんて現代ではNGですよ」

住職「確かに。でもね。お釈迦様のいう苦しみっていうのは少しニュアンスが違うんだよ。その解説をする前にまず「四苦八苦」について理解しないとね。

たぬ吉「(お、顔つきが変わったぞ)・・・はい。お願いします。」

住職「まず四苦八苦の「四苦」とは根本的な苦しみと云われる生・老・病・死です。」

生苦・・・生まれる事により起こる苦しみ

老苦・・・老いていくことによる苦しみ

病苦・・・様々な病気があり、痛みなどの苦しみ

死苦・・・死ぬことへの恐怖、死へ不安をいだく苦しみ

たぬ吉「確かにこれだけ聞くと普遍的なもので、誰でも理解できる苦しみですね

住職「そうだね。お釈迦様は何不自由のない王子様の時代にこの四苦に気づいてしまい出家されたんだよね。更に四つを加えます。」

愛別離苦・・・愛する人と別れる苦しみ

怨憎会苦・・・怨み憎む相手に会う苦しみ

求不得苦・・・求めているものが得られない苦しみ

五蘊成苦・・・肉体と精神が混在している苦しみ

住職「仏教ではこの四苦八苦を基本的な苦しみの根幹としてその原因を知り、渇愛を滅して悟りを得て、涅槃に入る事を目的とします。だからこそこの四苦八苦の思想を土台として理解しないと仏教の実践、理解は難しいかもね」

たぬ吉「なるほど。匡宏方丈はいつもヘラヘラしているだけかと思いましたが流石ですね」

住職「(余計な事を)・・・更にお釈迦様の時代は輪廻転生が事実として認知されていたようですし、その人生が過去未来永劫繰り返されると思うとそこからの解脱(輪廻から抜け出す)ことは当時のインド人にとってはとても切実だったのかもしれませんね。」

住職「また、苦しみのニュアンスも若干日本人の理解と異なるようです。この「苦」というのは「満たされない」と表現した方がいいかもしれません」

たぬ吉「ふむふむ。満たされないとなったら今の日本人でもなんとなくわかるかもです。僕も好きなたぬ美ちゃんとデートしている時は楽しいけど、振られた時は絶望のように悲しいもんな$301C」

住職「(彼女いたんだ・・・)ま、そのように、楽しい時もあれば悲しい時もある、これが人生ですが、仏教の苦しみとは喜びや悲しみその全てが苦しみ(満たされない)であり、満たされない欲望を渇愛として生きる事そのものが一切苦というわけなんです。

たぬ吉「そっか。お釈迦様は何不自由のない王子様の時にその人生の事実に気づいて、物質的な豊かな生き方を捨て、出家されたのですね。

住職「うん。その通り。お釈迦様は先ほどたぬ吉君が失礼な発言をしていたようにネガティブ思考の鬱傾向だったわけではなく、その普遍的な事実に気づいてしまったことで、その解決をする為に出家されたんだね。」

住職「それに私はネガティブとは思ってないしね。勿論その後お釈迦様が説かれたお悟りなどを自分に運用すると理解していくことだけれども、見方によってはとても前向きな考え方だと私は理解しています。」

住職「仏教を学ぶ上でこの満たされない人生をいかに解決して納得するかが仏教徒にとってとても大切なこと。だから人生が充実しているように錯覚(仏教的にいえば)している人には仏教は必要ないだろうし、人生に行き詰まりを感じている人ほど、仏教の教えというのは必要なのかもしれませんね。」

たぬ吉「なるほど!リア充には必要ないですね。」

住職「(なにか怨みでもあるのかな?)そうかもしれないけど、四苦八苦の概念を体験として実感してしまうことはどんな人にも必ず訪れるものです。今はたぬ吉くんの言葉を借りるとリア充でも、楽苦が続くことは「四苦八苦」をみても明らかですよね。だからこそ「一切苦」の概念として理解しておくことはとてもいい事ではないかなっと思います。どんなに幸せそうな人やお金持ち、成功している人でもこの事実からは逃れる事ができない(満たされない)。だからこそその真実を理解して人生を歩むことが真の意味での幸せの追求にも役に立てる気がします。勿論仏教を学ぶことでもよいと思います。」

たぬ吉「わかりました。僕もリア充な人たちを気にせずに仏教を学んで幸せになるよう精進します。有難うございました。ではどうぞよろしゅう」タッタッタ(去っていく)

住職「・・・全然わかってない。ダメだこりゃ(笑))

住職 永島 匡宏&たぬ吉和尚 合掌

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