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「びわ湖の素・米原」取材

取材風景

3月4日に米原市政策推進課のシティーセールス事業の一環で米原市への移住定住を促進を目指しして「びわ湖の素・米原」だからヒトが生きるにはココチよいをコンセプトにしているプロモーションに協力取材をいたしました。以前から米原駅などで、「びわ湖の素」のプロモーション動画などは拝見していたのでお声かけいただき光栄です。

さて、「びわ湖の素・米原」で本年度の特集として、「アスリート」「働く」のキーワードで特集を組むそうです。

うちは「アスリート」ではないから、多分「働く」の方だと思いますが(笑)

今回はインタビューと写真撮影の取材となりました。インタビューでは住職の経歴、お寺の考え方など様々な質問をいただき、楽しい取材となりました。

撮影風景②
撮影風景③

様々なお話をしている中で、ある話をして、自身も初心を思い出すきっかけになりました。

「青岸寺住職の原点のお話」

私(住職)の実家は静岡県島田市にあり、私はお寺の三男坊として産まれました。幼ない頃からお寺に人が集まるのは当たり前の環境を過ごしてきました。定期的にに夜には母が講師をしていた習い事の時に幼い私がひょこっと顔を出すと、檀家のおばあちゃん達が一斉に(可愛いね~)(大きくなったね~)とさながらアイドルのようにもてはやしてくれるわけです。そんなアイドル的扱いでしたから自然とお年寄りやお寺に集まる人が好きになっていました。単純ですね~(笑)

通学路もお寺で顔見知りのおばあちゃんやおじいちゃんが畑仕事していると大きい声で「ただいま!」「こんにちわ」とあいさつをして、お菓子もらったり、野菜もらったり、そんな少年時代を過ごしてきたわけです。

私にとってお寺ってそんな繋がりをつくる場所でした。この暖かい環境って人の心を豊かにすると思うのです。

この取材で久しぶりにこのお話をして、「そーだよな。これが私のお寺の在り方の原点だな。」そう思ったのです。

お寺ってものすごく固定概念が強いところです。特に僧侶が自ら社会との関わりを避けていた節すらあります。「寺で○○はだめだ」「こんなことは宗教ではない・・etc」その結果葬式仏教と揶揄され、寺離れなんて称号まで授かっているしまつです。50年以上前から云われているのに、やっと今の時代になって全国で動きがあるわけです。

もっとお寺に沢山の方に集まってもらって、お年寄り、子供、家族が集い、そこには笑顔(和顔)があって、優しい言葉(愛語)があって、暖かい思い出となって・・・。地域で育つ子供たちには私が感じた暖かさをお寺を通じて感じてくれたら嬉しいです。

今はまだ道半ばですから、色々乗り越えないといけない課題が多いわけですが、地域に愛されるお寺、地域ににぎわいを作る事を目指して精進しようと思います。原点回帰ですね。

時々、取材などで思い出します。そんな意味でも取材していただいて感謝です。また「びわ湖の素 米原」で紹介していただけると思います。ホームページをご覧の方は「びわ湖の素」でチェックして下さいね。

住職 永島 匡宏 合掌

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