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久しぶりの禅語紹介④

去年の紅葉風景

[行雲流水(こううんりゅうすい)」

今回紹介させていただく禅語は「行雲流水」と云います。雲のように行き、水のように流れると直訳するとなります。

よく、曹洞宗の修行僧の呼称を「雲水」と呼びます。これは、居場所を決めずに、一か所に留まることのなく、色々な師を訪ねて修行を重ねる事、または、自らに固定した思想や概念を持たずに、こだわりに囚われずに、日々の研鑽を重ねる修行僧の姿から、この呼び名が使われています。または、雲衲(うんのう)なんて呼び名もあります。

さて、この「行雲流水」でありますが、自然の真理を説いています。空を行く雲。川を流れる水は常に同じ状態で留まることはありません。

ぼ~と雲を眺めても、雲は流動的に移り変わり、消えては湧きまた消えていく。まな同じように流れている水も実は一つの場所にはとどまることはありません。常に形を変え、様々な姿に変化します。

大自然はまさにこの世の無常を雄弁に語り、時は有限であることを私たちに知らせます。

全ての人間には十人十色の人生があり、国籍、人種、性別、宗教、文化、歴史と様々な背景があります。一人ひとりに違う人生があり、全く同じ一生を歩む人はいません。

雲は時に激しい雨や雪などを降らし、様々な形に移り変わります。山頂で雲を掴もうとしても捕えれません。水も流れが穏やかな時もあれば、凄まじい鉄砲水になる事もあります。また水は入れ物によって姿を変えます。雲や水は縛られる事も、留まる事もありません。

人の人生も同じではないでしょうか。穏やかで楽しい日々もあれば、悲しく、苦しい時もあります。人生山あり谷あり。生きる事は喜怒哀楽の繰り返しです。

順風満帆な人生なんてほとんどの人はないでしょう。この禅語は、どんな事がらが身に起こっても、その事に執着せず、固執せず、雲のように行き、水のように流れるが如く、日々を生きる事を教えてくれています。

余談でありますが、道元禅師は中国から仏道修行から帰ってくる際、「5年間の修行で中国に仏法がなかった事がわかった」と云い、続けて「そのかわり、目は二つあり、鼻は真ん中にある事は分かった」とおっしゃったそうです。

あたり前の事を当たり前と認め、それを性根におけば、どんな苦境に立たされても、心が囚われる事はありません。まさに「行雲流水」の心境ではないでしょうか。

住職 慧嶽 匡宏 合掌

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