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涅槃図解説

青岸寺大涅槃図解説

図1・青岸寺保蔵 「釈尊涅槃図」

毎年2月15日はお釈迦様の命日(旧暦)として、全国で釈尊涅槃会が厳修されております。そして、多くの寺院ではお釈迦様の涅槃(亡くなられた)時の様子を模している「涅槃図」の軸が飾られ、お釈迦様の教えを今日に伝えられている事に報恩感謝いたします。

そもそも涅槃とはなにか?サンスクリット語のニルバーナという言葉を音訳して涅槃といい、意味は「煩悩の火が消えた状態」をいいます。即ち、死にいたりて、完全に煩悩が消え、悟りが完遂するという事になります。ですから、死=悲しみだけではない、真の平穏でもある。そこから仏教では亡くなる事を「涅槃」といいます。

お釈迦様

それでは、まず画の中心で金色に輝き、横たわっている方が涅槃にはいられた直後のお釈迦様になります。「頭北面西(ずほくめんせい)」で横たわり、今日でも亡くなった方を北枕か西枕で安置するのはこの故事からきています。

図2・中央の台座におられるのがお釈迦様

お釈迦様は右手を顔の下に置き、腕枕をするような姿でおられますが、この形は非常に理に叶った体勢のようです。

沙羅双樹

お釈迦様を囲うように8本の樹が描かれています。こらは沙羅双樹の樹であり、実際にお釈迦様は沙羅双樹の木の下でお亡くなりになられたと伝えられています。

涅槃図は時代や作者によって描かれ方に違いがあります。沙羅双樹も違いがあり、4本の場合もあれば2本の場合もあるそうです。基本的には8本ある描かれ方をしています。

図を見ると、8本のうち4本は色が変色し、枯れてしまっています。これは、お釈迦様が亡くなられて、樹木でさえ悲しみのあまり、葉を枯らしてしまったと一説には言われています。また残りの青々とした沙羅双樹はお釈迦様の教えは色あせることがない永久的な真理を表していると言われています。この二つを描くことにより、死は必ず逃れる事のできないもので、悲しみではあるが、お釈迦様の教えは未来永劫残るものという普遍的な両方の真理を表しているとみる事ができます。これを四枯四栄といいます。

あの有名な「平家物語」の冒頭文、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」の沙羅双樹はこの時の情景をもとに謳われている事がわかります。

お釈迦様の十大弟子。多聞第一「阿難陀(あなんだ、あーなんだ)」

図3・悲しみと喪失感の為、気を失う阿難陀

阿難陀尊者はお釈迦様の弟子であり、優秀な十大弟子の一人になります。特に阿難陀尊者はお釈迦様の従者として、お釈迦様と共に旅を共にし、片時も離れずお釈迦様の説法を聞いていたため、多聞第一として、もっともお釈迦様の言葉を聞いた弟子として伝えられている方です。

非常に美形な方だったらしく、修行時代も女難に遭いながら、真面目に修行を完遂された逸話があります。この涅槃図では、この阿難陀尊者をいかに美形に描けるかが、画家の力量が評価されたと言われています。

さて、阿難陀尊者が気を失っているのは、もっともお釈迦様の近くにいたため、悲しみが大きく、気を失ったとも見れますが、実はここにも逸話があります。

阿難陀は素質はあったものの、悟りを開かれたのは、お釈迦様の涅槃後であり、お釈迦様の生前はまだ未熟でした。その為、お釈迦様が阿難陀に「これから私は涅槃にはいる」と言われても、意味が分からず、それを止めなかったと言われています。その後、お釈迦様が亡くなられると、意味がわかり、お釈迦様の涅槃を止めなかった自分をひどく責め、悲しみと自己嫌悪の為、気を失ったと伝えられています。

お釈迦様の十大弟子。天眼第一「阿泥樓駄尊者(あぬるだそんじゃ)」

図3に阿難陀尊者を心配そうに丸い器を持って介抱している方が「阿泥樓駄尊者」になります。

阿泥樓駄尊者が阿難陀尊者に「釈尊はすでに涅槃に入られた」と告げられ、気を失ってしましました。阿泥樓駄尊者は直ちに清冷の水をもって阿難陀尊者の顔に注ぎ、助け起こしています。この阿泥樓駄尊者は後に出てくる阿那律尊者と同一人物だと言われています。

摩耶夫人(まやふじん)と阿那律尊者(あなりつそんじゃ)

図4・先導、阿那律尊者と摩耶夫人

この雲にのって先導している老人は先ほどの阿泥樓駄尊者と同一人物だといわれている阿那律尊者になります。そして阿那律尊者と一緒に乗っている中央の女性が、摩耶夫人になります。

お釈迦様の涅槃が近い事を悟り、摩耶夫人に知らせに行き、摩耶夫人は両脇に天女を引き連れて駆け付けている図になります。

摩耶夫人はお釈迦様の実母であり、お釈迦様が生まれて七日後に亡くなったと伝えられています。お釈迦様が涅槃に入らしむ事を嘆き、なんとか助けようと、長寿の薬をもってきたが、間に合わず、お釈迦様は涅槃に入りました。

同じ人物が一つの図にいる事と、お釈迦様の涅槃前と後での時間軸に違いがあるのがわかります。

薬袋?仏具?

図5・摩耶夫人が投げた錫杖と薬

図5は沙羅双樹に錫杖と風呂敷のようなものに何か包まれているように見えます。

これは一説によると、摩耶夫人が涅槃の間際のお釈迦様に向けて、錫杖に薬を括り付けて投げたが、沙羅双樹の木に引っかかってしまい、結局間に合わなかった事を表していると言われています。もう一つの説が、錫杖が当時最低限に許されている僧侶の持ち物だとされている為、袈裟と器(食事をいただく)だという説もあります。

この場面については、様々な逸話があり、薬は間に合ったが、お釈迦様がそれを拒んだ、という話や、ねずみが薬をお釈迦様に届けようとしたら、猫に食べられてしまった等、後の創作話でしょうが、面白い話がいくつもあります。寺院によって説明が一番違うポイントではないでしょうか。

摩耶夫人が投げた薬袋を投薬といい、現在の「投薬」の語源になっているそうです。

お釈迦様の足を擦る老婆は何者か?

図6.唯一お釈迦様に触れている人物

この謎の老婆は何者か?これもいくつか所説があります。沢山の菩薩や如来など、悟りを開いた方々を差し置いて、唯一お釈迦様のお身体に触れている事から憶測を呼ぶ人物です。一説にはお釈迦様が苦行を辞め、下山したとき、ミルク粥を施した「スジャータ(難陀婆羅(なんだばら)」だという説もあります。スジャータはお釈迦様にミルク粥を施した時は、小女だと言われますので、少し年を取りすぎている印象です。

一般的な定説では、須跋陀羅(スバッダラ)という120歳にもなる老汝だと言われています。お釈迦様の45年間の布教活動を労い、足を擦っているのです。

その時の定説によって描かれ方が違うため、作者の意図が大きく反映されてはいると思いますが、鎌倉時代にはお釈迦様と阿難陀尊者とこの老汝だけ描かれている図が確認されています。それだけ、重要な女性である事は間違いなさそうですが、謎が多い老汝です。

月は満月

お釈迦様の涅槃は2月15日だと言われていますので、月は満月になります。

様々な登場人物たち

図7、八部衆・夜叉

図8、白像などの動物たち

涅槃図には様々な登場人物がいます。お釈迦様の弟子たち、八部衆と言われる「天、龍、夜叉、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩ご羅伽、乾だつ婆」や帝釈天と四天王、様々な諸菩薩、大臣や長者たち、伝説上の動物や現存の動物たち。

多くの登場人物がお釈迦様の入涅槃を聞きつけ、悲しみ、嘆かれています。

猫がいる?いない?

図9、青岸寺には猫が描かれている

涅槃図の中には猫が描かれていない事が多いのですが、これは摩耶夫人が投げた投薬が沙羅双樹の木に引っかかってしまった時に、仏の使いであるネズミが取りにいきましたが、途中猫に食べられてしまった為だと伝えられています。猫がいる図といない図は、完全に作者の遊び心が大きく反映されています。作者の飼い猫をいれたり、依頼されて書いたり等があるようです。

もう一つ有名な話があります。「十二支の順番」が関係しています。

お釈迦様の入涅槃の話を最初に聞いたのは牛です。ネズミは牛の頭に乗り移動しました。移動の途中猫が寝ていましたが、日頃より仲が悪かった、ネズミと猫でしたので、ネズミは起こさず向かったそうです。お釈迦様の元に近づくと、ネズミは牛の頭から、飛び出して、一番に到着しました。猫は結局お釈迦様の涅槃に間に合わず、十二支にも入らなかった、というお話です。

恐らく、時代が遡り江戸時代頃につくられた寓話だと推測されますが、中々面白い話です。

全国各地にある涅槃図。様々な涅槃図がありますが、それぞれ違いがあり、また説もあり、楽しみ方が違う図になります。この時期に涅槃図を公開しているお寺さんも多いと思いますので、見学をさせてもらうと、新しい発見や説がでてきて面白いかもしれませんね。

青岸寺では2月15日~2月末日まで限定公開されています。興味ある方は是非お越しください。

長文お付き合いいただき有難うございました

住職 永島 匡宏 合掌

 

 

 

 

 

 

 

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