精進料理のお知らせ

精進料理のお知らせ

冬限定の精進料理

4月から精進料理の提供日が変更いたします。

従来は毎週木曜日、金曜日限定の完全予約制でしたが、寺カフェや拝観対応等の業務が増えてきた事もあり、4月より月1回の提供となります。

提供日

毎週・木、金曜日→毎月・第一木曜日限定

ご利用人数

1グループにつき4名~12名→15名の定員になり次第予約終了

料金

3000円→変更なし

完全予約制になります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

涅槃図解説(長文)

青岸寺大涅槃図解説

図1・青岸寺保蔵 「釈尊涅槃図」

毎年2月15日はお釈迦様の命日(旧暦)として、全国で釈尊涅槃会が厳修されております。そして、多くの寺院ではお釈迦様の涅槃(亡くなられた)時の様子を模している「涅槃図」の軸が飾られ、お釈迦様の教えを今日に伝えられている事に報恩感謝いたします。

そもそも涅槃とはなにか?サンスクリット語のニルバーナという言葉を音訳して涅槃といい、意味は「煩悩の火が消えた状態」をいいます。即ち、死にいたりて、完全に煩悩が消え、悟りが完遂するという事になります。ですから、死=悲しみだけではない、真の平穏でもある。そこから仏教では亡くなる事を「涅槃」といいます。

お釈迦様

それでは、まず画の中心で金色に輝き、横たわっている方が涅槃にはいられた直後のお釈迦様になります。「頭北面西(ずほくめんせい)」で横たわり、今日でも亡くなった方を北枕か西枕で安置するのはこの故事からきています。

図2・中央の台座におられるのがお釈迦様

お釈迦様は右手を顔の下に置き、腕枕をするような姿でおられますが、この形は非常に理に叶った体勢のようです。

沙羅双樹

お釈迦様を囲うように8本の樹が描かれています。こらは沙羅双樹の樹であり、実際にお釈迦様は沙羅双樹の木の下でお亡くなりになられたと伝えられています。

涅槃図は時代や作者によって描かれ方に違いがあります。沙羅双樹も違いがあり、4本の場合もあれば2本の場合もあるそうです。基本的には8本ある描かれ方をしています。

図を見ると、8本のうち4本は色が変色し、枯れてしまっています。これは、お釈迦様が亡くなられて、樹木でさえ悲しみのあまり、葉を枯らしてしまったと一説には言われています。また残りの青々とした沙羅双樹はお釈迦様の教えは色あせることがない永久的な真理を表していると言われています。この二つを描くことにより、死は必ず逃れる事のできないもので、悲しみではあるが、お釈迦様の教えは未来永劫残るものという普遍的な両方の真理を表しているとみる事ができます。これを四枯四栄といいます。

あの有名な「平家物語」の冒頭文、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」の沙羅双樹はこの時の情景をもとに謳われている事がわかります。

お釈迦様の十大弟子。多聞第一「阿難陀(あなんだ、あーなんだ)」

図3・悲しみと喪失感の為、気を失う阿難陀

阿難陀尊者はお釈迦様の弟子であり、優秀な十大弟子の一人になります。特に阿難陀尊者はお釈迦様の従者として、お釈迦様と共に旅を共にし、片時も離れずお釈迦様の説法を聞いていたため、多聞第一として、もっともお釈迦様の言葉を聞いた弟子として伝えられている方です。

非常に美形な方だったらしく、修行時代も女難に遭いながら、真面目に修行を完遂された逸話があります。この涅槃図では、この阿難陀尊者をいかに美形に描けるかが、画家の力量が評価されたと言われています。

さて、阿難陀尊者が気を失っているのは、もっともお釈迦様の近くにいたため、悲しみが大きく、気を失ったとも見れますが、実はここにも逸話があります。

阿難陀は素質はあったものの、悟りを開かれたのは、お釈迦様の涅槃後であり、お釈迦様の生前はまだ未熟でした。その為、お釈迦様が阿難陀に「これから私は涅槃にはいる」と言われても、意味が分からず、それを止めなかったと言われています。その後、お釈迦様が亡くなられると、意味がわかり、お釈迦様の涅槃を止めなかった自分をひどく責め、悲しみと自己嫌悪の為、気を失ったと伝えられています。

お釈迦様の十大弟子。天眼第一「阿泥樓駄尊者(あぬるだそんじゃ)」

図3に阿難陀尊者を心配そうに丸い器を持って介抱している方が「阿泥樓駄尊者」になります。

阿泥樓駄尊者が阿難陀尊者に「釈尊はすでに涅槃に入られた」と告げられ、気を失ってしましました。阿泥樓駄尊者は直ちに清冷の水をもって阿難陀尊者の顔に注ぎ、助け起こしています。この阿泥樓駄尊者は後に出てくる阿那律尊者と同一人物だと言われています。

摩耶夫人(まやふじん)と阿那律尊者(あなりつそんじゃ)

図4・先導、阿那律尊者と摩耶夫人

この雲にのって先導している老人は先ほどの阿泥樓駄尊者と同一人物だといわれている阿那律尊者になります。そして阿那律尊者と一緒に乗っている中央の女性が、摩耶夫人になります。

お釈迦様の涅槃が近い事を悟り、摩耶夫人に知らせに行き、摩耶夫人は両脇に天女を引き連れて駆け付けている図になります。

摩耶夫人はお釈迦様の実母であり、お釈迦様が生まれて七日後に亡くなったと伝えられています。お釈迦様が涅槃に入らしむ事を嘆き、なんとか助けようと、長寿の薬をもってきたが、間に合わず、お釈迦様は涅槃に入りました。

同じ人物が一つの図にいる事と、お釈迦様の涅槃前と後での時間軸に違いがあるのがわかります。

薬袋?仏具?

図5・摩耶夫人が投げた錫杖と薬

図5は沙羅双樹に錫杖と風呂敷のようなものに何か包まれているように見えます。

これは一説によると、摩耶夫人が涅槃の間際のお釈迦様に向けて、錫杖に薬を括り付けて投げたが、沙羅双樹の木に引っかかってしまい、結局間に合わなかった事を表していると言われています。もう一つの説が、錫杖が当時最低限に許されている僧侶の持ち物だとされている為、袈裟と器(食事をいただく)だという説もあります。

この場面については、様々な逸話があり、薬は間に合ったが、お釈迦様がそれを拒んだ、という話や、ねずみが薬をお釈迦様に届けようとしたら、猫に食べられてしまった等、後の創作話でしょうが、面白い話がいくつもあります。寺院によって説明が一番違うポイントではないでしょうか。

摩耶夫人が投げた薬袋を投薬といい、現在の「投薬」の語源になっているそうです。

お釈迦様の足を擦る老婆は何者か?

図6.唯一お釈迦様に触れている人物

この謎の老婆は何者か?これもいくつか所説があります。沢山の菩薩や如来など、悟りを開いた方々を差し置いて、唯一お釈迦様のお身体に触れている事から憶測を呼ぶ人物です。一説にはお釈迦様が苦行を辞め、下山したとき、ミルク粥を施した「スジャータ(難陀婆羅(なんだばら)」だという説もあります。スジャータはお釈迦様にミルク粥を施した時は、小女だと言われますので、少し年を取りすぎている印象です。

一般的な定説では、須跋陀羅(スバッダラ)という120歳にもなる老汝だと言われています。お釈迦様の45年間の布教活動を労い、足を擦っているのです。

その時の定説によって描かれ方が違うため、作者の意図が大きく反映されてはいると思いますが、鎌倉時代にはお釈迦様と阿難陀尊者とこの老汝だけ描かれている図が確認されています。それだけ、重要な女性である事は間違いなさそうですが、謎が多い老汝です。

月は満月

お釈迦様の涅槃は2月15日だと言われていますので、月は満月になります。

様々な登場人物たち

図7、八部衆・夜叉

図8、白像などの動物たち

涅槃図には様々な登場人物がいます。お釈迦様の弟子たち、八部衆と言われる「天、龍、夜叉、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩ご羅伽、乾だつ婆」や帝釈天と四天王、様々な諸菩薩、大臣や長者たち、伝説上の動物や現存の動物たち。

多くの登場人物がお釈迦様の入涅槃を聞きつけ、悲しみ、嘆かれています。

猫がいる?いない?

図9、青岸寺には猫が描かれている

涅槃図の中には猫が描かれていない事が多いのですが、これは摩耶夫人が投げた投薬が沙羅双樹の木に引っかかってしまった時に、仏の使いであるネズミが取りにいきましたが、途中猫に食べられてしまった為だと伝えられています。猫がいる図といない図は、完全に作者の遊び心が大きく反映されています。作者の飼い猫をいれたり、依頼されて書いたり等があるようです。

もう一つ有名な話があります。「十二支の順番」が関係しています。

お釈迦様の入涅槃の話を最初に聞いたのは牛です。ネズミは牛の頭に乗り移動しました。移動の途中猫が寝ていましたが、日頃より中が悪かった、ネズミと猫でしたので、ネズミは起こさず向かったそうです。お釈迦様の元に近くなると、ネズミは牛の頭から、飛び出して、一番に到着しました。猫は結局お釈迦様の涅槃に間に合わず、十二支にも入らなかった、というお話です。

恐らく、時代が遡り江戸時代頃につくられた寓話だと推測されますが、中々面白い話です。

全国各地にある涅槃図。様々な涅槃図がありますが、それぞれ違いがあり、また説もあり、楽しみ方が違う図になります。この時期に涅槃図を公開しているお寺さんも多いと思いますので、見学をさせてもらうと、新しい発見や説がでてきて面白いかもしれませんね。

青岸寺では2月15日~2月末日まで限定公開されています。興味ある方は是非お越しください。

長文拝読有難うございました。

住職 永島 匡宏 合掌

 

 

 

 

 

 

 

近江七福神巡り

青岸寺・福禄寿

皆様はご存知でしょうか。滋賀県には七福神巡りできる場所がいくつかあります。「湖西蓬莱七福神」・「西近江七福神」・「近江国びわ湖七福神」そして、青岸寺も所属している、「近江七福神」があります。琵琶湖を挟んで、四か所の地域で七福神巡りをして、御朱印を頂いたり、お参りをしています。

「近江七福神」の社寺は、市神神社(恵比寿)・金剛輪寺(大黒天)・長命寺(毘沙門天)・長寿院(弁財天)・興福寺(寿老人)・天寧寺(布袋)そして青岸寺(福禄寿)の七か所になります。(ちなみに近江七福神で紹介されている青岸寺は何故か一律で清岸寺で字に誤りがあります⤵正しくは青岸寺。)

基本的には御朱印目的で参拝に来られる方が多いわけですが、しっかりお参りもしていただきたく、玄関先でも参拝していただくよう、福禄寿さんを安置しております。


七福神・福禄寿

そもそも七福神信仰とは「七難即滅、七福即生」で、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われ、室町時代末期にこの思想が生まれ、当時の民間に広く流行りました。特に農家や漁民などが信仰し、現在に残っています。それぞれが違う国の神様や仏様で、神仏、宗教を越えた、日本人らしい寛容的な信仰だといえます。メンバーは時代により、移りかわり、非常に個性的で面白いですね。

七福神の一番人気はやはり大黒様でしょうか。次に恵比寿、毘沙門天、弁財天、布袋さんなどが人気でしょう。比較的福禄寿は影が薄いかもしれませんね。でも実はとても縁起の良い神様なんですよ。

福禄寿は「人望」を意味する七福神だと言われます。福禄寿の名前一字一字に意味があります。

福:幸福、子宝

・禄:身分、財宝

・寿:長寿、健康

とても縁起が良いですよね。福禄寿さんの頭の長さは、人望と知恵も表しているといわれます。さて、福禄寿さんの御利益です。

子孫繁栄

・立身出世

・健康長寿

・招徳人望

・財運招福

・延命長寿

・富貴栄達

福禄寿さんの真言

おん まかりし そわか

住職 永島 匡宏 合掌

釈尊涅槃図

釈尊涅槃図

2月15日はお釈迦様(釈尊)のお亡くなりになられた日だと言われています。この涅槃図には、その時代の流行りによって、図に違いがあったり、解釈の違いにより、様々な見方ができます。どこの寺院にも比較的涅槃図がありますが、それぞれ違いがあり、とても興味深い図になります。

青岸寺では2月15日から2月末日まで、涅槃図を青岸寺本堂方丈の間において、一般公開しております。興味ある方は是非お越しください。住職の都合がつきましたら、簡単な説明をさせていただきます。

ホームページでは時間がありましたら、青岸寺涅槃図の説明をしようと思います。

猫が描かれている

(例えば、猫が書かれている涅槃図とそうではない涅槃図の違いなど。)

住職 永島 匡宏 合掌

 

2月9日(土)坐禅会のお知らせ

2月9日(土) 坐禅会

明日は16時より、青岸寺にて坐禅会を開催いたします。青岸寺本堂にて静寂な空間で坐禅を実践いたします。

ストーブもありますが、少し冷えますので、坐禅しやすい暖かな恰好にて、ご参加下さい。

坐禅の内容は、その日の参加者のメンバーと人数によって、多少違います。未経験者や、坐るのが不得意な方も大歓迎です。

坐禅が終わったらお茶の準備をしております。

準備するもの・坐禅しやすい恰好、以上。気軽に参加下さいね。

腹籠り観音様

本尊 聖観世音菩薩坐像(県指定文化財) 

 


木造 ヒノキの寄木造り 像高79.7㎝ 南北朝時代の作

左手には未敷蓮華(みふれんげ)を握り、右手はこれを添えるようにかまえ、右足を外にして結跏趺坐の形をしている。このことから天台宗系の密教像として制作されていることがわかる。

南北朝時代(1331年~1392間)1367年8月18日に佐々木六角氏頼が、三条門弟讃岐法眼堯尊(円派仏師の系列に属し、同派の主流仏師、堯円の弟子筋にあたるとされる。)に聖観世音像を刻ませ、米泉寺本尊として安置した。また、氏頼は常に丈八寸程の聖観世音を念持し、戦に赴く際は、竿頭に納めて出陣した。そのご加護著しく、康暦2年(1380)絶海汝林禅師と思案し、その念持仏を本尊の胎中に安置する。ここに世に有名な「御腹籠りの観音」にして「旗竿の観音」とも称し、当寺の秘宝仏となる。

※米泉寺由来による


上記の説明のように青岸寺の本尊様は世にも珍しい「腹籠り観音様」です。聖観世音菩薩のもつ慈愛と救済の心、胎中にいる観音菩薩の縁起の良さ、そして密教像としての「観音力」のご加護により、「安産祈願」「子宝成就」「必勝祈願」などの祈願に非常にご利益のある観音様です。他にも佐々木京極の宿願の地であるこの土地の利もあります。

また、本尊聖観世音菩薩様のお顔は、その時の自身の心境を写す鏡のようになっており、見る人によってお顔の仏相がかわって見えます。微笑んで見えるかたもいれば、少し怒っているように見える方もいます。しっかりとした眼で相対した人の心を見つめていらっしゃるのです。

皆様にはどのように拝見できますか。是非直接ご覧になって下さいね。

指月会主催の句会を青岸寺にて

本日は指月会主催で句会を青岸寺本堂(客間)にて8名参加で開催されました。皆さんとても楽しんでいただいたようで、非常に有難い事です。国指定名勝庭園の文化財を保有しておりますので、文化的にも、非常に価値のある、催しだと思います。

さて、今日せっかく青岸寺にて俳句を詠んでいただきましたので、ご無理を言い、公開を了承して下さいましたので、ご紹介させていただきます。

雪女 消えて庭石 ごつごつと

もも子

観世音 このくれなゐの 猫柳

喜久子

はだれ雪 踏み踏み行けば 牛頭神社

和子

禅寺の 雪吊雪を 待つばかり

志津子

靴底で ぎんなんつぶす われは母

真子

白き息 もらし仏に ぬかづきぬ

顔(かんばせ)に 風の止まれ 冬桜

まさ野

夜は夜の 雪の近江の 紅梅 

多美子

皆さん素敵な俳句ですね。短い言葉で様々な情景を表す言葉の美。日本の素晴らしい文化ですし、日本語でしか表現できない世界に誇れる世界観だと思います。本日は指月会の皆様。有難うございました。

住職 永島 匡宏 合掌

中日文化センター庭園講座の外部研修

重森千青(ちさお)先生による解説

1月24日に中日文化センター庭園講座受講生の外部研修の一環で、青岸寺に重森千青先生と24名の生徒さんが来山いたしました。

拙僧が初めに簡単な青岸寺の歴史を説明させていただきました。その後、庭園縁側にて、重森千青先生の庭園解説を拝聴いたしました。私自身、青岸寺庭園の歴史や庭園の趣旨は概ね理解しているつもりではありますが、先生のお話は、毎回新しい事に気づかしていただくので、大変楽しみにしています。

他の庭園の特徴を引き合いに、わかりやすい説明で、作庭者の技法や意図など、とても参考になりました。受講生の方々も博識の方が多く、実のある一日となりました。重森先生、中日文化センター庭園講座受講生の皆様。有難うございました。

今日の青岸寺庭園

今日の米原は一日雪模様。庭園もどんどん積もっています。午前中は積雪もそこまで増えることもないので、良い状態で観賞できそうです。

午前10時現在の庭園の様子

リフレクション

青岸寺からご報告

青岸寺より工事のお知らせです。1月21日~3月吉日まで、青岸寺客殿一部改修工事を施工しております。昨年の9月より、寺カフェ「喫茶去 Kissa-ko]をオープンしました。より、皆様がご利用しやすいように素敵な空間を造ります。

工事はこの期間執り行われていますが、拝観や喫茶はご利用できますが、少し、ご迷惑をおかけするかもしれません。どうぞよろしくお願い申し上げます。

赤毛氈を撤去

畳を撤去

工事中はベニヤ板で衝立をしております

私自身も完成がとても楽しみです。皆様も楽しみにしていてくださいね。