禅語紹介①と樹木希林さん

仏教では「仏教用語」といわれる言葉があります。皆様の日常でも何気なく使われている会話の中にも、実は仏教の言葉が沢山あります。「玄関」「挨拶」「縁起」「億劫」「我慢」「主人公」「油断」など、日常にに使われている言葉も実は仏教用語が沢山含まれています。

仏教用語の中でも禅宗の思想から生まれた「禅語」があります。その中から少しずつ禅語をご紹介させていただきます。皆様の生活にもきっと役に立つ言葉があると思います。


禅語を紹介する理由

人は「価値観」によって人生が大きく左右されます。狭い「価値観」はそれだけその人の生き方を狭め、生きることが息苦しきなっていきます。

「価値観」を広げる為に、人は本や映画、趣味やスポーツ、旅行等をします。勉強もそうです。経験は人の「価値観」を広げ、人生をより豊かにいたします。自分探しの旅なんてのも「価値観」を広げる一つの手段にすぎません。

仏教の「価値観」もそのようにとらえて下さい。色んな人の「価値観」や「経験」を聞いたり、経験したりする事により「価値観」を認識し共有することが大切です。全て享受する必要はなく、共有する(今の言葉でシェアする)ことにより、潜在的に理解するだけで良いのです。人生の分岐点や物事の判断をする時、それが必ずこの「価値観」があなたの手助けになります。

禅語は禅宗の生き方が凝縮しています。短い言葉の中には深い意味が隠されています。


「日々是好日」

 

禅語の中でも有名な言葉ですね。「にちにちこれこうじつ」または「ひびこれこうじつ」と読むのが一般的です。今回は先日お亡くなりになられた樹木希林さんを偲びながら禅語を説明させていただきます。

先日お亡くなりになられた樹木希林さん(75歳)の出演される秋公開される映画のタイトルが偶然にも「日々是好日」です。素晴らしい女優さんでした。その生き方も自然体で「不動心」のような立ち振る舞いをしていて、私も非常に好きな方でした。本当に惜しい方が亡くなられました。2013年の日本アカデミー賞のスピーチの時に全身癌を公表して世間を驚かせました。それから5年後にお亡くなりになられた訳ですが、きっと苦しい闘病生活だったと思います。それを一切感じさせず、多くの良作映画に出演されていました。

樹木希林さんはけして、生きる事を否定しているわけではなく、死ぬことを肯定しているわけでもなく、あくまでもそれを受け入れる覚悟を見受けられました。これは誰も真似できない覚悟であります。亡くなる前年にインタビューで樹木希林さんが死ぬことについて答えています。

「う~ん・・・(少し考えられてから)上等じゃないですか。(今死んでも)今、家族もいて、家もあって、畳の上で死ねそうだし。上等です。」

普段から生死を考えている僧侶でも、ここまで死を目前に控え、「上等」といえるか、私には恐らくいえません。おそらく樹木希林さんは経験として生死の正体を自覚していたのです。頭が下がる、かっこいい方です。まさにこれから説明する「日々是好日」を実践して生きてこられていた方だと感じます。

その最後の遺作の一つに映画「日々是好日」なのは誠に不思議な因縁を感じますし、必ず映画館で観たい映画です。

さて、日々是好日とはなにか、元々は、唐の禅僧・雲門文偃(うんもんぶんえん)の言葉で、「雲門広録」巻中を出典としています。

この言葉の解釈はいくつかあります。言葉通りに、「毎日毎日が良い日である」と解釈もできますが、それでは禅宗の真髄には少し届いていないように感じます。

日々是好日はもっと深く、日頃私たちは良い日もあれば悪い日もあると、その一日を評価して断定します。人生トータルで考えれば、お釈迦様がおっしゃっている通り、「生老病死苦」であり、苦しい事が多い。これは現代においても未来永劫かわる事のない人間である事の本質であり、真理であります。

では、この苦しみの生き方をどう捉えるかが、この言葉の真髄です。毎日生きる事は、苦しい事が多い。しかし一喜一憂しすぎ、常に今この時、この瞬間こそ大切にして、過去、未来を考えるのではなく、今を生きる。その瞬間、瞬間の繰り返しである。だからこそ、今の置かれている状況をあるがままに享受して受け入れる。その覚悟があれば、毎日がどんな日であろうと良き日であるし、毎日が新しい日々の連続なのだと気づく。それこそが「日々是好日」であると私は理解しております。樹木希林さんはこの生き方が理解していたのか、自然と身についていたのか、定かではありませんが、闘病中にも関わらず、「日々是好日」を実践していたのです。

「日々是好日」。樹木希林さんにも心の葛藤は恐らくあったのだと思います。しかしその生き方に感銘を受け、心揺さぶられます。

最後になりますが、樹木希林さんの心よりご冥福を祈ります。

住職 永島 匡宏 合掌

 

 

赤毛氈と照明を新調しました。

青岸寺の廊下を彩る赤い毛氈も、5年以上たち、傷んだ箇所がところどころでてきたので、新しく新調しました。

赤毛氈をとった廊下

私が青岸寺に来てから初めて赤毛氈なしの廊下を拝見・・・。

新調した赤毛氈

やっぱり赤毛氈があったほうが映えます。新調すると気持ちがいいですね。

 

新しい照明

客殿の照明も一新しました。前の照明があまりにも味気なかったので・・・。もう少しオシャレデザインにしようとも思いましたが、庭園があくまでも主役です。景観に違和感がないよう、シンプルデザインの照明。

紅葉シーズンも間近です。皆様がよりよい拝観ができるように、準備中です。少しづつ改善をして、居心地の良いお寺を目指して精進しております。

青岸寺は観光寺院としてはまだまだ、知名度も低く、発展途上の寺院です。沢山の方に興味をもって来山していただき、青岸寺だけでなく米原に足を運んでいただくきっかけになれば幸いです

これからも新しい試みをどんどん提供していきますの、楽しみにお待ちくださいね。

住職 永島 匡宏 合掌

 

永平寺重興森田悟由禅師

曹洞宗には本山が二つあります。一つが福井県にある永平寺。これは全国的にも非常に有名な本山になるかと思います。もう一つが、神奈川県鶴見区にある總持寺です。こちらの本山は知名度は永平寺ほどではないのですが、活発に布教活動している本山です。總持寺は元々能登(現在は總持寺祖院)にありましたが、明治時代に神奈川県鶴見に移転いたしました。石原裕次郎さんの墓地がある事で関東では有名になります。

他の他宗を見ると極めて珍しい派閥のない、宗派になります。しかし、長い歴史の中で、両本山が仲たがいし、分裂してしまう騒動が幾度かありました。もっとも緊張が高まったのが明治時代にありました。その分裂騒動を治めて、現在の宗門の偉大な礎を築かれたのが、永平寺六十四世・森田悟由禅師になります。

この森田悟由禅師と青岸寺との関係と共に森田悟由禅師をご紹介させていただきます。


森田悟由(もりた ごゆう)俗名:常次郎 道号:大休悟由 禅師号:性海慈船禅師

             別号:「六湛」「六湛庵」「空華」

森田悟由禅師は洞門近代巨匠の一人であり、明治期仏教界の泰斗と仰がれたひとである。永平寺貫首に就任されてから25年間の間も全国各地を御親化で布教巡回され、戎弟は30万人、血脈授与は100万人以上に上り、新寺建立及び、復興した寺院は二十二ケ寺にわたっている。その布教巡回の際に、米原駅に近かった青岸寺に書院(六湛庵)を施工させ、宿泊場所として利用している。

森田悟由禅師が假宿(六湛庵)

※青岸寺パネル参照


『重興の尊称をうけた功績とは』

永平寺監院寮に保管されていた「監院寮記録書類第四号」の「慶弔会式礼 大正五年十一月一日」によれば、大正五年十一月一日に厳修された永平寺における本葬のことが記されており、それには、永平寺の重役、顧問が協議した上、大本山總持寺貫首石川素童禅師の同意を得て、「重興」を賜れていることが明らかである。また「大正五年一一月一日 慶弔式礼関係書類(甲) 大本山永平寺」をみると、本葬当日に仏事師の法語があり、これにも重興が読み込まれていることから、本葬儀当日に重興の称号が決定したことがわかる。

 では、重興と尊称される功勲とは何であろうか。まずあげられるのが両本山分離事件を阻止し、両山盟約を護持し、曹洞宗を分離せずに発展させた功績が第一である。この功績は、今日の宗門がある永遠の功勲ともいえる。

 その他の功勲は。永平寺で授戒会を開き、それ以後、毎年修行することを定め、檀信徒教化をすすめたことである。そして、大本山總持寺貫首西有穆山禅師と協議して曹洞宗大会を開き、教学の拡張や制度の改善などを計って、宗門興隆の礎を築いた点も評価に値できる。

 道元禅師の六百五十回大遠忌を厳修する為、永平寺の仏殿、僧堂、瑞雲閣などの諸堂を大改築し、佛器、法器、什具などを新調して、永平寺の荘厳を一新された。さらに本山布教師を全国に特派し、吉祥講を組織するなどして、永平寺参拝を大いに推進させたことであろう。また、眼蔵会を開催し、一般の人でも提唱を聞くことができるようになった。さらに、大本山總持寺貫首石川素童禅師と協議し、宗憲以下宗門すべての法規を大改正するなどして綱紀を粛正した点なども評価すべきことである。

 しかも、禅師は明治維新によって永平寺境内地の外上地されたため、新しく田地二十余町歩、山林百余町歩を取得し、また、植林を経営して、永平寺の永遠の維持管理の礎を築かれたのである。

さらに、明治二十四年に入山以来、大正四年の示寂迄の二十五年間、全国各地に御親化され、戎師三五〇余会、戎弟三十万人、因脈、血脈授与百万人以上ともいわれており、請されて新寺建立及び法地起立して復興した寺院は、二十二ケ寺にわたっており、永平寺直末を加えていった点などの功勲が「永平寺重興」と尊称された理由である。

※「永平重興 大休悟由禅師広録 別冊解題」・「情熱の気風」等を参照にしています。


以上が森田悟由の残した目に見える功績といえます。他にも思想として多くの偉人や著名人にも影響をあたえています。時の大正天皇も「天下の名僧」と発言されるほど、当時の森田悟由禅師の高名は日本中に響きわたっていました。特に有名な逸話は、かの伊藤博文との関係があげられます。


『森田悟由禅師と伊藤博文』

森田悟由禅師と伊藤博文との出会いは明治二十七年である。初見で二人は意気投合した。英雄、英雄を知り、好漢、好漢を知る。その後、伊藤は、度々悟由禅師と相対している。

 明治三十二年(一八九九)十月。伊藤博文が永平寺を訪れて悟由禅師と再会した。

 悟由禅師は伊藤を不老閣に迎えて膝を交えて会談した。

 話が明治維新前後のことになったとき、伊藤は何度も刺客に襲われたが命拾いしたこと、幕府の長州攻めで苦労して長州藩を護ったこと、死を覚悟して外国の軍艦に乗り込んだことなど、徳川幕府を倒して明治政府を樹立するまでの苦労話を熱を込めて語った。

 そして話終えてから、やや誇らしげに悟由禅師にこう問いた。

「禅家では苦しみに耐えて厳しい修行をして、人間をつくるというが、白刃の下をくぐって生き抜いたわしのことを貴僧はどう見られるか。」

 伊藤の心中には寺の中で坐禅を組んで悟ったつもりの禅坊主などは、実際に危機になったとき、何の役にも立たないだろうという見くびった気持ちがあった。

悟由禅師は冷眼で伊藤を一瞥した。

「人間も昔の自慢話をするようになってはもう終わりだ。昔の自慢話よりも、今から前に進むことを考えてこそ、生きている価値がある」

 この言葉に伊藤も兜をぬいだ。

「いや、悟由禅師。一本取られました。よい教訓です。」

 明治政府の大政治家にも臆せず、忠告できる悟由禅師。自分の欠点をつかれても怒らない伊藤。後に何のわだかまりも残さない明月のような心境の二人であった。

『伊藤博文公遺愛、鉄制の茶碗』

 伊藤公が韓国に赴かんとするや、写真一葉を禅師に呈して決別の記念とした。実際に伊藤公は凶弾に倒れた。

 伊藤公の未亡人は公遺愛の銀制の茶碗と最終の写真とを遺物として禅師に贈られた。

『悟由禅師が伊藤博文公への追悼の言葉』

七十年來奉至尊 身心出處報皇恩 

無端忽觸匪徒手 蓋代功勲是命根


非常に優れた人物であった森田悟由禅師ですが、宗門においても語られる事は少なくなってきました。今一度、宗門における優れた祖師たちの築いた礎に敬意を表して、しっかりと学び直す必要があると、考えています。

森田悟由禅師のような曹洞宗を代表する名僧とご縁があるというのは、青岸寺にとっても、拙僧にとっても非常に有り難い事です。少しでも一般の方に森田悟由禅師を認知していただければ幸いです。

青岸寺には森田悟由禅師の遺品、書、詩、などの貴重なものが多く残され、それを展示しております。興味がございましたら説明させていただきます。是非御来山ください。

住職 永島 匡宏 合掌

米原区老人会亡故者法要の厳修・嬉しかった事

米原区老人会亡故者法要の様子(拙僧が導師、法語中)

9月10日(月)午前10より、青岸寺本堂に於いて、米原区老人会会員亡故者法要が厳修されました。この法要は毎年、青岸寺を会場として、その年に米原区にて亡くなられた方を老人会が主催で執り行われる法要なります。

亡くなられた方はほとんど他宗の方になりますが、宗旨が違っても、亡くなられた方をお送りする気持ちは一緒です。曹洞宗の法式になりますが、心を込めて導師を勤めさせていただきました。

米原区を代表して青岸寺がこのご縁をいただき、ご法要させていただく事は大変、有難い事だと感じてます。

最近は、都会に限らずとも、同じ地域に住んでいても、誰が亡くなったのか知らない事が多くなってきました。非常に寂しい事ですが、これが今の現実なのでしょう。

しかし、米原区老人会では必ず、亡くなった方の為に毎年、ご供養の法要をいたします。亡き個人の中には、孤独死で亡くなった方もいらっしゃいます。悲しみにくれる家族の方もいらっしゃいます。その方々のためにも、皆が集まり、亡き個人やご家族に寄り添う、とても大切な法要です。

法要が終わって嬉しい事がありました。一年にこの亡故者法要の時にしか青岸寺に来られる事がほとんどない方が多かったので、折角のご縁だと思い、「庭園の説明をよろしかったらいたしましょうか?」とお声をかけさせていただきました。正直、皆帰られるかな、と失礼ながら思っていました。

すると、ほとんどの方が残って説明を聞いてくれて、少し驚いたのが本当のところです。

皆様、真剣に説明を聞いて下さり、大変喜んでいただきました。

「住職さん。長い間、米原区に住んでいるけど、こんな素晴らしいお寺だったなんて知らなかったよ」

「初めて、説明を聞かしてもらったけど、非常に勉強になって良かった」などおっしゃってくれました。本当に有り難い事です。

これからも、米原区の方にとって青岸寺が親しみがあるお寺になるようもっと精進しようと思いました。

来年も、再来年もこれからも、地域と青岸寺とのつながりあるこの法要を大切にしたいをと心より感じた、とても実りある一日になりました。

米原区老人会の皆様。有難うございました。

青岸寺客殿より庭園の風景

住職 永島 匡宏 合掌

 

枯山水庭園に水が溜まりました

先日の台風21号により、各所で大変な被害がでました。今回の台風は特に風が凄まじく、滋賀県の寺院でも、多くの被害が報告されています。

青岸寺がある米原市は比較的被害が少なかったようで、青岸寺も倒木などはありましたが、建物や庭園などには被害がでませんでした。

昨日は境内、墓地、庭園の倒木や枝、木ノ葉などの回収、撤去の一日となりました。作業していますと、自然の驚異にはいつも慄き、人間の無力さを思い知り、人間も自然の一であるということを思い知らされます。

しかし、自然は恐ろしいだけではありません。時に美しい姿を見せる時があります。青岸寺庭園もその一つでしょう。

枯山水庭園が池泉庭園に

自然と人間が作り出した空間といえます。

嘆いてばかりもいられません。どんな日も「日々是好日」です。

災害に遭われた方々と地域の一日でも早い心の安寧をお祈り申し上げます。

住職 永島 匡宏 合掌

 

台風の接近に伴ない臨時休業のお知らせ

非常に強い台風21号が4日午後より近畿を直撃する予報に伴い、3日、4日と臨時休業とさせていただきます。青岸寺では例年、強い台風の際に、多少の被害がでております。今回は前もって対策準備の為、一日早く休業させていただきます。

青岸寺に参詣予定の皆様には大変申し訳ございませんが、有事の折、ご理解の程宜しくお願い申し上げます。また5日にも境内や庭園が大変荒れている事がある程度予想されます。その点もご配慮の上、参詣の方は十分ご注意していただきますよう重ねてお願い申し上げます。

今回の台風は現在のところ、注意が必要な台風になる予報です。皆様も河川や海、湖岸、山際などには近寄らず、安全には十分配慮をして下さい。

住職 永島 匡宏 合掌

「写仏とお寺でご飯」

曹洞宗婦人会・青年会主催「写仏とお寺でご飯」受付

9月2日は曹洞宗婦人会・青年会主催「写仏とお寺でご飯」を青岸寺を会場にして開催いたしました。より仏教が身近に感じていただけるようにと毎年二回開催されている行事です。お寺で実際にお坊さんと一緒に坐禅をしたり写仏したり、ご飯を食べたりと、楽しいイベントになります。

会場準備

坐禅会場

写経会場

廊下にも準備

前日から準備をして当日を待ちますが、いつも少しドキドキいたします。

当日、青岸寺檀信徒婦人部がお手伝い。

このような行事になるといつも青岸寺には青岸寺檀信徒婦人会の皆さまがご協力していただけます。檀信徒の少ない青岸寺にとって本当に有り難いことです。青岸寺に誇れるものがあるとすれば、青岸寺ご本尊「聖観世音菩薩」様と「青岸寺庭園」、そしてこの檀信徒の皆様であると、いつも感じております。本当に感謝です。

おはぎやおでん、おにぎりなどを作ってくれます。

会場に皆様集まり、各役員がご挨拶をいたしました。

滋賀県曹洞宗婦人会会長よりご挨拶

会場主の挨拶(拙僧)

挨拶が終わり、坐禅です。

開講式のようなものが終わり、早速、青年会主体で坐禅を体験いたします。子供たちも参加してくれて、頑張って坐禅いたします。

青年会の丁寧な説明もあり、10分間という短い時間でしたが、坐禅を上手に皆様してくれました。青年会の皆様にもいつも感謝です。

静かに坐ります

写仏の時間です

写仏の時間になると会場を変え、写仏になります。写仏を書き写す前に、皆様と「般若心経」をお唱え致します。

子供たちも楽しく写仏します。

庭園を観賞しながら写仏いたします。

食事の時間です

写仏が終わると、食事の時間になります。食事も大切な仏行になります。いただく前に「五観の偈」をお唱えし、青年会よりご説明があり、食事を頂く大切さ、心構えを教えていただくことができました。

婦人会が作って下さったおでん

ちゃんと食べれたかな。

食事風景

寺院でこのようなイベントを開催することは非常に有意義なことだと思います。婦人会の方が「今の世の中、手がかからない事で楽しむことが増えてきました。だからお寺で何かすることは、非常に手のかかる事だけど大切な事だと思います。」とおっしゃっていました。本当にそのとおりだな、と思います。

お寺でこのような活動を通じて、皆様により仏教を身近に感じていただきたいです。本当にこのような機会をいただいた、曹洞宗滋賀県婦人会と青年会の皆様に感謝申し上げます。有難うございました。

住職 永島 匡宏 合掌

 

 

 

 

 

 

模様替えしました。

米原市の小中学校の夏休みもおわり、元気に通学している子供達を見かけるようになりました。

青岸寺も心機一転模様替えをいたしました。と・・・言っても建具を少し入れ替えただけですが、雰囲気も少し変わり、気持ち新たに頑張る次第です。

喫茶などのくつろぎスペースに。

庭園をもっと、ゆったり鑑賞して頂くために、余計な建具は外しました。皆様に静寂な時間を体験していただけると思います。

 

御朱印やお守り、祈願札など販売しております。

青岸寺に参詣していただいた方に少しでもお寺や仏縁を感じていただき、有意義な時間を感じていただければ幸いですが、私自身、日々、試行錯誤の毎日でございます。皆様のご意見、ご要望があれば、青岸寺拝観ノートなどありますので、ご気軽にお書きくださいね。

皆様におかれましては、残暑が続くと思いますが、お身体をご自愛して下さりますようお願い申し上げます。

住職 永島 匡宏 合掌

 

寄せ灯篭(キリシタン灯篭)

和洋折衷の寄せ灯篭「織部灯篭(キリシタン灯篭)」

織部式灯篭

天文18年(1549年)にキリスト教の伝来以降、織部流茶道の祖である吉田織部正重然が、天正年間(1573年~1592年)のキリシタン全盛時代に信者や茶人の好みに合うように創案したものと言われ、それまではこのような形の灯篭はなかった。

青岸寺の寄せ灯篭の特徴は、竿は織部灯篭、字形はなく彫像のみ、中台は灯篭の笠を逆にして使用した六角形、各々角のところに小穴があり、もとは風鈴のようなものが釣り下げられていたと思われる。中央部に作り出しがあり、その上に六角の火袋があり、各々の面に地蔵尊が浮き彫りされ、六体地蔵となっている。この六体地蔵の部分は鎌倉時代の物ではないかと推測される。笠は一見、蓮華寺風であるが、抽木形の折衷にも見える。屋根の刻みだしは三段なって、ゆるやかな勾配を見せ、周辺は六角形をしている。宝珠は一般的な形である。

青岸寺庭園が作庭される際に、持ち運ばれて置かれたようだが、どこから持ち運ばれたのかは不明である。

※青岸寺パネルより参照

 

青岸寺庭園に少し異彩を放ち、庭園を彩っている灯篭です。既存の概念に囚われない禅宗の庭園らしく実に自由な灯篭です。青岸庭園を観賞しているとそれまでの基本を守りつつ、自由奔放に作庭されているのがわかります。作庭者の彦根藩士、香取氏の確かな技術と興欣和尚の禅僧らしい発想が合わさって、珍しい発想が沢山ちりばめられています。二人が本当に楽しく議論をして庭を作庭されているのが想像できる庭園ではないでしょうか。

上が地蔵様、下がマリア像と既成概念を突き抜けている灯篭、観賞してみてください。

住職 永島 匡宏 合掌 

 

 

百日紅(さるすべり)

青岸寺本堂と百日紅

慌ただしいお盆のシーズンも終えてゆっくり境内を見ていると、百日紅が美しく咲いています。なんでも樹齢200年以上の樹になるらしく、立派な百日紅です。

山門から覗いた風景

青岸寺は少し山の麓にある事もあり、樹木など花の開花は少し遅れて咲きます。日本人は桜も好きですが、百日紅もなかなか好きで、よく見るとそこら中にあります。

美しい花や景色を見ると、暑い夏も一瞬忘れさせてくれます。

余談ですが、猿もすべる、つるつるした幹をしている百日紅ですが、青岸寺にお猿さんが度々降りてきますが、普通に百日紅を登っていました(笑)さるすべらず・・・です。

百日紅の花

夏がよく似合う百日紅、まだ少し咲いていると思いますので、是非鑑賞下くださいね。

写真も綺麗にとれますよ。

住職 永島 匡宏 合掌